体験談をお届けします。

ご本人が心よく快諾してくれました。

♪トイレの神様♪ 植村花菜 をBGMに読んでいただきたいと思うぐらいの『詩(うた)』です。

体験談や感想を超えた実際にあった物語です。

今回は私の解説なしに原文そのままをご紹介したいと思います。

読む方の心に触れたところが・・・その方の求めていることかもしれません・・・・




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【体験談】


私がI式コーチングを学ぶことになったきっかけ…。

それは、元々心理学に興味があり、ホームページで“理論より実践”というI式コーチングを知り、『一度直接話を聞いてみたい!』と、体験講座を受講したことから始まりました。


その時に『やはり、これは自分にとって一生の財産になるから、必要だ!』と思い、実際に学んでみることにしたのです。


体験講座受講後、間もなく、昨年6月より、JIMCCAミドルクラスコーチ認定資格取得コース(2級)を受講開始し、2週間に1度のペースで受講しました。


当時の一番の目標は“今の仕事では将来が不安なので、まず自分が一生やっていきたい仕事を見つけること”でした。



I式コーチングを学んでいくうちに、物事の考え方、捉え方が日に日に変わっていくのが、実感出来ました。

“物事の考え方、捉え方を工夫すれば、自分の周りの環境が自然と良い方向へ移行していく。自分を支えて協力してくれる人達が増え、たくさんの幸せを感じ取ることが出来るようになる!”…ということを、身をもって体験しました。


その経験から、I式コーチングの重要性を感じ、次第に『私も稲田コーチのように、悩みを抱えている人や必要としている人達を、その人の望む方向へ導いてあげたい!役に立ちたい!』という思いが芽生え、また『I式コーチングの素晴らしさを世間に広め、全ての人々を幸せにしたい!』という思いが、どんどん強くなっていきました。


そして、昨年12月末…。

キリ良く年内に2級を取得したくて、ギリギリでしたが(笑)JIMCCAミドルクラスコーチ認定資格(2級)を、見事取得することが出来ました。



その頃には、何の迷いもなく『私は将来プロのコーチになる!』と、コーチングを学び始めた時の目標を達成!“自分がやりたいこと”を見つけることが出来ていました。



それから、私は新たに出来た“プロコーチになる!”という目標を達成する為、更にJIMCCA上級マスターコーチ認定資格取得コース(1級)にステップアップしました。


さて、年が明け、2010年1月…。


私は『昨年中に2級取得出来たし、今年は1級取得に向けて、頑張るぞ〜!』と、張り切っていました。


いつものように受講の予約をし、日常生活を送りながら、新年一発目、JIMCCA上級マスターコーチ認定資格取得コース(1級)受講を心待ちにしていました。



ところが、受講直前に発熱。体調を崩してしまい、仕事を休み、新年一発目の受講を延期させていただきました。
ちょうど、新型インフルエンザが猛威を振るっていた時です。



しかし、病院の検査結果は、インフルエンザではなく、ただの風邪でした。
インフルエンザ、風邪予防対策として、うがい,手洗いはしていましたが、更に部屋に置いておくだけでウイルス除去してくれるゲルなどを取り入れ、予防対策を強化しました。


風邪も落ち着き、仕事に復帰し、気を取り直して、再度受講予約を入れました。


しかし、また受講直前に発熱。受講を延期しなければならなくなりました。

職場で新型インフルエンザが大流行していましたので、再び検査をしましたが、インフルエンザではありませんでした。


体調が落ち着き、仕事に復帰し、受講予約→直前に発熱→受講キャンセル…そして、また…というのを、何度繰り返したでしょうか?覚えていないくらいです(笑)


受講しようとすると、直前に必ず発熱。受講を必ず自分の体が邪魔をします。こうも重なると、さすがに『なぜ!?なんでこんなにも続くんだ?私、何か悪いことしたかな!?』と軽く凹みました。


受講の延期を稲田コーチにお願いする度に、稲田コーチ、そして、一緒に受講する予定だった生徒さんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。



体調が落ち着き、一旦仕事に復帰したものの、また職場で発熱!
インフルエンザではないものの、10年ぶり39℃近い発熱。幾度も短期間に立て続けに高熱を繰り返しました。



今度は歯性上顎洞炎でした。
昨年末から虫歯治療をしており、治療の過程で副鼻腔に菌が入り、急性副鼻腔炎を起こしての発熱でした。


『神様!もう、わかったから!もう、いいよ!もう、勘弁してください!』そう、思いました。


しばらく、また仕事を休んで、治療に専念しました。毎日耳鼻科と歯医者に通院し、薬を飲めば、数日で治る!そしたら、また仕事に復帰しよう…。


そして、2月…。

副鼻腔炎と歯の方も一段落、落ち着いたので、仕事に復帰しました。


ところが、職場の人事の人に『そんな体調なら、長期休暇して治療に専念した方がいい。あなたのためを思って言っている。一ヶ月位休んで入院するなりして、短期間で治した方がいい。チョコっと仕事にきたり、休んだり…とされると困る!あなたの代わりは他にいくらでもいるから!まずは、休んで体調を整えて。その歯医者は良くないから、歯医者を変えた方がいい』などと言われました。



しかし、私がやっている仕事は、有給休暇がありません。休んだら休んだ分だけ、お給料はありません。通院治療費もかかります。



私は、インフルエンザではないから、人に移すものではないし、通院しながら、働きたい旨を伝えました。

そして、私は『あなたの代わりは他にいくらでもいる』と言われたことに対して悔しくて、意地を張って『休みません!』と公言し、約束をしてしまいました。



『毎日、通院治療を続けていれば、そのうち落ち着くだろう』と、働いていました。


歯医者を変えることはしませんでした。そのドクターの腕が悪いわけではありません。私が急性副鼻腔炎になったのは、たまたまです。



以前の私だったら、言われるままに『歯医者、変えよう』となっていたと思います。


でも、今回は『ドクターのせいではない。まぁ、そういうこともあるんだな』ぐらいにしか思わなかったし、『自分がお世話になるドクターは、私に決める権利がある!他人に決める権利はない!』と、私は通っている歯科医を信じ、歯医者を変えませんでした。


ところが、耳鼻科と歯医者に通院しながら、3日程働いたところ、また、39℃近い発熱!今までと症状が違う感じでした。


『また!?神様!これはどういうことですか!?』と参りました。


職場の人事の人に、意地を張って『休みません!』と言ってしまった以上、メンツがあります。安易に仕事を休めません。


私は悩んで、他の上司に今までの経緯を説明し、相談しました。


その上司は『家庭の事情ということにしておく。休んでいいよ(^_-)-☆まずは体が資本だから、体調を整えて』と言ってくれました。


この上司、私が人事の人に『休みません!』と公言した現場に居合わせていて、私の意気込みを見て、『あなたの意気込みは、わかった』と認めてくれていた人でした。

普段、多くは語らない人だけに、有り難くて有り難くて、感謝の気持ちでいっぱいになり、涙を流して感謝しました。


私は上司のご好意で、安心して休ませていただくことが出来ました。ずっと通院していた耳鼻科に行き、検査結果は当日出ないので、翌日聞きに行くことになっていました。

そして、翌日…。

通院していた耳鼻科から朝一に自宅に電話がありました。

私は両親と同居しているのですが、たまたま母が電話に出て、検査結果を聞きました。



今度は、新たに伝染性のウイルスに感染していたのです。

母は『すぐに本人を連れてきてください!大学病院に紹介状を書きます!入院になるかもしれません。本人は相当きついはずです!』と言われ、大病をしたことのない私が『入院かも!?』と言われたことに、母は心配したのでしょう。


私はいい大人ですが、両親に連れられて耳鼻科に行き、紹介状を書いてもらい、バタバタと大学病院に連れて行ってもらいました。


詳しい検査の結果、耳鼻科で診断を受けたように、伝染性のウイルスに感染していました。

このウイルス、ほとんどの大人が知らない間に、子供の頃に一度は感染しているのだそうです。
おたふく風邪、水ぼうそう、麻疹…そういった類です。
こういった病気は、大人になってかかると、症状が重いのですが、まさに私はその状態でした。
ですから、両親に移す心配はありませんでした。


幸い『まだ比較的軽そうなので、入院はしなくて良いでしょう』とのことで、入院せずに済み、通院と自宅療養することになりました。


このウイルス感染の治療方法は、“薬を絶ち、安静にし、体に抗体が出来るのをジッと待つしかない”とのこと。数週間かかるとのことでした。


ドクターにそう言われてしまっては、もう、どうあがいても、それが現実。現実を受け入れるしかありませんでした。


『あ〜…。あれだけ、頑なに仕事を休みたくないと言っていたけど、新たに感染症にかかったということは、どのみち休むようになる運命だったんだなぁ。やはり、なるようにしかならないんだ。これは、なるべくしてなったことなんだ。今の私に課せられた試練なんだなぁ…。この試練は、一体私が何を学ぶ為にやって来たのだろうか?何か意味があるんだろうなぁ…』

そう考えると、目の前の現実をすんなりと受け入れることが出来ました。



金銭的な事情と、自分の意地で休むことを拒み続けてきましたが、仕事が出来ない体であるのが現状。では、そうなった原因を追求するのではなく、現実を受け入れて、今自分が出来ることは何なのか?考えました。


『たくさん仕事をお休みして、職場の人達に迷惑をかけているし、まずは病気を治すことに専念するのが、今の私の仕事だ!早く治して、仕事に復帰出来るように、療養に専念することが、今の私に出来ることだ!』と考え、精一杯、一生懸命、療養しました。


こんなにも体がボロボロになってしまったのは、初めてでした。

食欲はないけれど、栄養を摂る為に食べて、寝る…。それに専念しようと決意しました。


普段、我が家では、私が炊事をすることが多く、自分で自分の食事の準備をしていましたが、この時は高熱でフラフラなため、食事の準備がしんどくてたまりませんでした。


フラフラで食事の準備をしようとしている私に、母が『作ろうか?』と言ってくれました。


私は、幼い頃から過保護で過干渉な母に育てられ、自分のやりたいことを母が取り上げて、先にやってしまう…。

良かれと思ってでしょうが、先回りして私がやろうとしていることを、私の意思を無視して、何も言わず母が先にやってしまう…という環境で育ちました。

そのせいか、私は“自立心”を育むことが出来ないまま、大人になりました。


なので、自分がやろうとしていることを母に取り上げられることは、大嫌いなのです。

一時期、母のそういうところを含め、自分の感情やエゴを押し付けた教育に、恨みや憎しみを覚えて、苦しんだこともありました。


しかし、この時ばかりは、自分で食事の準備が出来そうにない程、具合が悪かったのです。



母に『作ろうか?』と言われた時、私は10秒程固まって考えましたが…あまりのしんどさに、『うん』と言っていました。



普段、私は自分で食事を作るので、食事をする時、『いただきます』を言っていませんでしたが、この時は、母に食事を作ってもらったので、なんとなく『いただきます』と言って、十数年ぶりに母に作ってもらった雑炊を、ゆっくりゆっくり…一生懸命、食べていました。



しかし、雑炊だけでは栄養が偏ります。栄養バランス☆の良い食事が理想です。


私がゆっくりと雑炊を食べていると、母はイチゴを持ってきて、『これ、ジュースにしようか?』と言ってくれました。

また、私は10秒程固まって、『うん』と言っていました。


母はイチゴとヨーグルトをミキサーにかけ、イチゴジュースを作って、私に出してくれました。



食事も作れない程、体が衰弱していた私は、母が雑炊やジュースを作ってくれたことが有り難くて有り難くて…。

母に初めて心から『ありがとう』と言えたのです。

しかも、母は私の意思を確認しながらやってくれたのが、嬉しくて嬉しくて…。



私が母に心から『ありがとう』と言ったのが、伝わったのか?
母は『は〜い(^-^)』と満足そうに言ってリビングに行き、そっとしておいてくれました。



私は、一緒に食事をするわけでもないのに、自分が食事をしている時にそばにいて、ジッと見られるのは、監視されているみたいで嫌いなので、母もそれを察して、そっとしておいてくれたのでしょう。



母の愛、優しさを感じ、有り難くて有り難くて、私は涙を浮かべながら、雑炊を食べ、イチゴジュースを飲みました。

それと同時に、私は母に初めて心から『ありがとう』が言えたことが嬉しくて…。



私はそこで『ハッ!Σ( ̄□ ̄;』っとしました。



『わかった!神様、わかりましたよ!この試練の意味は、こういうことだったんですね…(;_;)』

そうです!

どんなに私がI式コーチングを勉強して、人とのコミュニケーションを学んで成長出来ていても、家族…特に母に対しては、変われずにいたのです。


子供だった私は、母に精神的な虐待とも取られる育てられ方をしてきたので、私の根っこの部分に凍りついた“恨み”にも似た感情が、根強く残っていました。



私がI式コーチングを学び始めた当時の目標は、“自分がやりたい仕事を見つけること”でしたが、学んでいくうちに“もう高齢の母が、まだ生きている間に、母との関係を修復したい”という思いも出てきました。
いつか、その問題について、タイミングが訪れたら、稲田コーチにお話ししたいと考えていました。



私は2級取得コースの終盤で、何となく母とのことをお話ししたい気持ちになったので、稲田コーチに全てをお話しし、受講中にたくさん泣きました(笑)
稲田コーチは、全てを包み込むように聴いてくださいました。


その後、母の件に関して、ちょっとづつ、前向きに考えれるようになりましたが、自分の意志ではどうしようもないシコリ、私が生まれてから今の今まで、37年抱えてきたものは、そう簡単に消え去ることはありませんでした。



しかし!
2級取得した後、1級取得コースに進級しようとしている時のこのタイミングに、今回の立て続けの病気という試練は、私と母との確執を拭い去る為に、これでもか!と訪れたのだと気付きました!



そして、後日談。

私は、現在年金暮らしとなった両親に、金銭面で援助をしている身で、恥ずかしながら、私自身の貯金はありません。

病気で仕事を休んでいたことから、収入がないため、私は両親に援助するどころか、自分の通院費、生活費も賄えないでいて、困っていました。


両親は、今まで私の兄には、どんなことをしてでも金銭的援助をしていたのですが、私には一切そういうことをしてくれたことはありませんでした。

母は私に『兄ちゃんにしてあげたから、お金ないから、アンタは自分でしなさい』と…。
なので、私は『一円たりとも両親に迷惑はかけられない』…と、金銭面で絶対に迷惑をかけることはしませんでした。



しかし、今回私が病気を患い、生活費に困っているのを知ってか、年金暮らしになってしまった両親が、借金してまで私に通院費と生活費を貸してくれたのです。


私は、両親が兄びいきをしていて、両親は私よりも兄に対する愛情が多いのだと、兄に対して、ずっと恨み、嫉み、そねみのような感情を抱いてきました。


しかし、今回両親が私に金銭的に助けてくれたことで、両親は兄に対する愛情も、私に対する愛情も、平等だったんだ!と、初めて気付きました。



そうやって、様々なことに気付いてからは、私は不安を抱えることなく、安心して闘病することが出来ました。

体はきついけれど、それに反して、日に日に精神の方は強くなっていきました。



現在は、おかげさまで病気は完治し、仕事に復帰し、元気に働くことが出来ています。

また、自分の体の大切さを思い知らされ、食事や運動に気を遣って生活習慣を変えたり、人間ドッグを受けたりと、自分の体にもっと関心を持つようになりました。


それと同時に、人に対する思いやりも、以前にも増して強くなりました。
これは、他人に限らず、両親に対してもです。


以前は、母や父が『体調が悪い』と言っていても、全く関心がなく、気にもとめなかったのですが、自分が病気をして苦しんだことで、体調不良の人の気持ちが解るようになり、今では母や父の体調を気遣うような行動が自然と出てくるようになりました。


いや〜…37年間、長かった…。この部分だけは、どうしても苦しかった…。



以前は、両親と同じ屋根の下に住みながらも、会話らしい会話をすることがなかったのですが、今回の自分の病気をきっかけに、両親の愛情など、たくさんことに気付き、母に心から感謝出来たこと、両親に感謝出来たことで、今では母と少し込み入った会話も出来るようになり、父とも会話をするようになりました。


私が立て続けの病気を患ったことで、私がずっと求めていたものを手に入れることが出来ました。


そして、家族だけでなく、自分の身の回りの人達や、自分が苦手としている人達にも、感謝出来るようになり、またひと周り成長することが出来ました。


今回の病気という試練は、かけがえのないものを私にプレゼントしてくれました。
病気になったからこそ、たくさんのことに気付きを得ることができ、今となっては『病気になって、よかった!』とさえ思います。



私が1級取得コースを受講しようとすると、体調不良になって邪魔される…。進級する時のこのタイミングで、この試練。

そういう意味があったんですね〜。神様、にくい演出です(笑)神様に感謝ですね〜。



私がどうしても乗り越えられなかった壁を、今こうしてやっと乗り越えることが出来ました。

これで、どんな試練が来ても、乗り越えらる気がします。



先日、今年初めての受講、1級取得コースの受講をスムーズに開始することが出来ました(笑)

まだまだ勉強中ですが、もっともっと、成長して、目標に向かって前進したいと思っています。

乗り越えられない壁は、ありません!!

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